土川内科小児科ニュース  6月号  No.5 もどる

  
今月のテーマ脳死移植

 先日衆議院で、臓器移植法案が圧倒的多数で可決され、参議院をこのまま通過すれば「脳死は人の死である」と法律で定められてしまいます。今月はこの問題を取り上げてみます。

  臓器移植という治療手段でしか命を救えない患者さんがおり、また自分の死後、こまっている人に臓器を提供したいと考えている人もいます。そして日本の医療レベルは臓器移植が十分可能な状態です。ですから、臓器移植への道を開くことは大切なことで、時代の流れからも国会で議論されてしかるべきと思われます。今回は、「脳死を人の死と認めないままで、脳死移植を認める法案」と「脳死を人の死とし、臓器移植をすすめる法案」の二つが提出されていました。採決の結果、前者は圧倒的多数で否決され、後者は圧倒的多数で可決されました。中には、この矛盾する二つの法案のどちらにも賛成した政治家が八人もいました。この矛盾に満ちた行動をとった方々は、「脳死は人の死とは思えないが移植をすすめるために賛成した」などと、脳死は人の死かどうかというあまりにも重要な問題を犠牲にしても臓器移植への道を開きたいという考えのようです。当然いろいろの問題点が指摘されています。たとえば、当分の間保険診療を認めるとなっていますが、見直しで、保険外となってしまえば、脳死と判定されてしまったら、一日一二万円前後といわれる人工呼吸器を使う費用をはじめ、膨大な医療費を個人で負担しなければならなくなってしまいます。さらに脳死を人の死とすることで、法律的にさまざまな権利の得失や相続にかかわる死亡時刻をいつにするかなども大きな問題となります(夫と子供が同時に事故に遭ったような場合、どちらの死を先にするかで、相続条件が相当違ってくるようです)。今回の決定は臓器移植を推進したいとすることからの決定と思われますが、脳死を人の死と認めなくても臓器移植への道を開くことは可能なのに、脳死を人の死としてまで、がむしゃらに臓器移植への道を開こうという姿勢に不安を感じざるを得ません。また政治家の多数決で、こんなに大事なことを決めてしまっていいのかという疑問も残ります。臓器提供を望む人の方が圧倒的に少ないと思われる現段階では、一番上の条文の「死亡した者が生存中に臓器の提供の意志を・・・・・・」のところを「死亡した者が生存中に脳死状態からの臓器の提供の意志を・・・・・」に修正すれば、これまで通り、臓器提供を希望しない多くの脳死は人の死でなくなる訳ですから、いろいろな問題がなくなってくるのではないかと考えます。脳死を人の死と考えるかどうかは個人の自由であっていいはずですから、もっと議論を尽くして、このような柔軟な案をつくるべきではなかったかと思います。私も今回、この記事を書きながらこの問題について考えてみました。非常に複雑な問題なので、自分の考えがなかなかまとまりませんでしたが、結局、私は、「正確に脳死と判定された人がよみがえることはありえないと考えておりますが、脳死を人の死とは考えるべきではない」と考えています。ですから、やはり心臓が停止した時をその人の死の瞬間と捕らえたいと思っております。もちろん、臓器移植に反対しているわけではありませんので、先に述べましたように、生前に脳死状態からの臓器の提供を希望されている人が不幸にも脳死状態になった場合には、特例として臓器の摘出を行うことは許されていいことだと思います。ただ、私自身は自分が不幸にも脳死状態からの臓器移植しか助かる道がない難病におかされた場合でも、脳死状態からの臓器移植を望むつもりはありません。皆さんはいかがですか。この機会に一度考えて見てはどうでしょうか。(トップへ